ドクターの幸せDNA > もしも、あなたが「神」だったら・・・4
2009年04月24日

もしも、あなたが「神」だったら・・・4

 
 
 
 
みなさ〜ん♪ こんにちわ!


またまた出張先からの更新でっす。



さて、このブログを通じて古くからお付き合い頂いている方々は

すでにご承知の如く、私自身は代々神官の血筋の家に生まれましたので

当然、神官である訳です。


ですが、従兄弟に跡を任せましたので

現在は神社に奉職してはおりません。


しかしながら私の体の中には

太古から、連綿と受け継がれてきた「いのちの伝承」は

歴然と息づいています。



その「いのちの伝承」を分かり易くお話しした記事が

2005年4月23日に書いています。



その記事には・・・

@自分が気付いていない途轍もない才能と能力を潜在していると知る事である。
と書いています。

それは・・・
例えば、貴方には両親が2人お出でです。
その両親にも4人の祖父母が居られます。
そして、その祖父母にも祖祖父母が8人居られます。
その様にあなたを基点として10代さかのぼると2の10乗で1024人。つまり約1000人もの祖先の人たちが居ました。
さらに20代さかのぼると1000×1000で約100万人。
30代さかのぼると1000×100万で約10億人。
1代30年考えると30代で900年。

つまり約1000年前にさかのぼったら、あなたには10億の人達の遺伝子が体内に生き続けている事になります。

つまり、あなたの中には遺伝子と言う形で、本当は何でも知っていて、何でも経験し、何でもやれる能力を秘めていると云う事になります。

その事が本当に理解できれば・・・・・
あなた自身は自らを意識化、つまり潜在されている本当の自分の意識を目覚めさせればいいのでです。

そして、もう一つ。

あなたが知っている心や思いは意識全体のたつた一割でしかない。と言うこと。
残りの九割、つまり90%は眠ったままなのです。と書いています。



次に・・・・

Aあなたは途轍もないエネルギーを内在している。と書いています。

それは、アインシュタインの相対性理論E=mc2を例題に上げました。

つまりエネルギー=質量×光の二乗倍の法則です。

これを、あなたに当てはめて見ます。

例えばあなたの体重が50kだとすると・・・
光速は秒速300000000m/sとなり
50k×300000000×300000000=4500000000000000000となります。
これは日本の単位では450京(けい)ジュールと言う単位になります。

これをキロカロリーに変換すると
450京×4186.05=1075000000000000Kcalとなります。

つまり1075兆Kcalなのです。



ですが、これでもピンと来ないだろうということで

参考までに、日本全体の一年間の消費エネルギーは5000兆Kcal

だから、あなた一人が内在するエネルギーの大きさが分ると思います。

因みに広島に投下された原子爆弾が放出したエネルギーは48兆ジュール。

ですが、あなたのエネルギーは450京ジュール。

とても比較にならない途轍もないエネルギーの持ち主と言う事になるのです。


さて、あなたはそのエネルギーの一部を一体何に、何の為に、どの様に使って来ましたか?

と言うものです。


そして次に・・・・

B目先の欲に振り回されるな。囚われるな。と書きました。

とんでもない才能を秘め、途轍もないエネルギーを内在するあなたが、何故、詰まらない事にこだわったり、出し惜しみをしたり、勝手に限界を作ったりするのだろうか?

それは本当の自分を知らないからである。と書いています。


そして・・・

人間力とは、その秘めた才能と膨大なエネルギーを正しく使える人間の力を意味する。と書きました。

それは、今のままの心でそれらを使い出したなら、あなたはどんな人生を歩むであろうか?

恐らく、欲望のまま金儲けと権力と地位、そして異性にエネルギーを浪費し、唯の欲望人間となってしまうに違いない。

だからこそ今は一切使えないのも事実。

本当に素晴らしい人生を望むので在れば、先ずそれに相応しい器づくりが必要なのである。

人生成功者の道は、誰でもが歩めるが、歩み出す為には先ず生命の尊厳を学ばねば果たせない。

と書いていました。



そこで、上記の前項の@からBを踏まえた上で

皆さんにお伝えしたい事があります。


それこそが「いのちの伝承」

つまり「生命の連環」なのです。


古代の古神道が一番大切にしてきた

最も尊い教えが「生命の連環」そのものなのです。



現在の私たちは肉や魚を食することを断ちました。

その最も大きな理由は

人間である私たちが、自分達の欲望によって

人間以外の動物や魚介類の肉を食べることは

つまりは「他の生命体たちのいのちの連環を断つことに他ならない」と

切実に思ったからです。


例えば私たち人間が、他の生命体から何かの理由で

無造作に、無残に殺され、その上、肉までもむさぼり食われたたとしたら

残された人たちは何も思わないでしょうか?


この仮のお話は、あくまで想定でしかありませんが

考えただけでも、色々な思いが渦を巻き胸が苦しくなって来ます。


つまり私たちは、美味しいものを食べたい。と言う理由だけで

他の生物たちを飼育したり、養殖したり、漁をしたりして

屠畜、畜殺し、腑分けし、限なく食べ続けてきました。



「もしもこの世に誰も居なくなって・・・」
「残された自分と他には牛や馬、それが例え鳥だけだとしても・・・」
「その動物や鳥の目を見たら・・・」
「それを殺してまで自分が生き延びたいとは思わない。」
「例え、食べなければ生きられないとしても・・・」

これは私の妻の言葉です。

こうした何気ない夫婦の会話から菜食に切り替えました。



そんな私たちと共に食事をする人たちの多くは、

「どうして野菜しか食べないの?」と事あるごとに聞きます。

でも本当の意味を中々説明できません。

何故なら、目の前の料理の殆どが肉料理か魚料理ばかりなのですから。



また私たち夫婦は、先日もこんな会話を交わしました。

ご飯を頂くとき「頂きまぁ〜す。」と感謝の言葉を言うけれど・・・

その感謝の言葉を軽く使い過ぎじゃないのかな?


感謝って、本当は感謝した分だけ

何かの形でお礼をしなきゃ嘘だよね。

口先だけの感謝なんて無意味だものね。

じぁ、食することに感謝すると言うことは

その感謝に対して何をお返しして来ただろう?


今まで自分の食欲を満たす為に食べられた牛や鳥、魚たちに

人間はどんなお返しが出来るんだろうか?

もういのちを奪われた彼らに対して・・・


彼らの「いのちの連環」を断った人間に

一体、何が出来るんだろうか?


こう考えた私たちは、肉や魚が食べられなくなったんです。

それが真実です。


人だけでなく、
それが、例え動物や魚であっても「いのち」を奪ってはならない。

人間に、他の生命を奪う権利など一切ない。

何故なら連綿と生き続ける、

つまり「いのちの連環」を断ち切る権限など与えられてはいない。


寧ろ、人間こそが、その大切な自然の法則を「いのちの連環」から学び

更なる高みを目指すべきなのではないだろうか?


今まで私たちが祖先の人々から受け継いできた

大切な「いのちの連環」を見つめて・・・。


このことが今の私たちの人生の課題なったのです。


「いのちの連環」にこそ「私たちが生命の子」

つまり「神の子」たる意味が秘められている様に想います。


さて、あなたのご意見は如何でしょうか?
 
 
 
 
















気になるおケイコを手軽に検索「ケイコとマナブ.net」
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
おすすめのサイト
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。