ドクターの幸せDNA > 大神(おおみわ)一族の奥義
2008年04月08日

幸せDNAを目覚めさせるには

 
 
 
みなさ〜ん♪ こんにちわ。

またしてもご無沙汰しておりました。

この所、兎に角、忙しくって寝るのがやっとの日々。



ブログ更新が気に成りつつも手も足も出なくって。。。

まっこと済みませんでした。



そこでお詫びと言っては何なのですが・・・


我が大神(おおみわ)一族の奥義中の奥義である

秘儀をご伝授致しましょう。

それは摩訶不思議な力を秘めている祝詞(のりと)です。


それは皆さんも知らず知らずの内に

数を数える際に使っている言葉でもあるのです。


つまり

とつ(一つ)

たつ(二つ)

っつ(三つ)

っつ(四つ)

つつ(五つ)

っつ(六つ)

なつ(七つ)

っつ(八つ)

このつ(九つ)

お(十)

と言う数え句です。


この数え方は

実のところ、何時の時代から使われ始めたのかハッキリしていません。

でも昔の古文書でも随所に見られる数え方であることは間違いありません。

つまり日本文化に文字が取り入れられるズッと以前から使われていた言葉なのです。



そして上記の数え方よりも、もっと古い言葉として・・・


ひぃ〜・ふぅ〜・みぃ〜・よぉ〜・い〜・
むぅ〜・なぁ〜・やぁ〜・こぉ〜・とぉ〜

と言う数え句もあります。



でもね!

これ、本当は数え句じゃないんです。

実は遥か太古の縄文の昔から口伝で伝えられていた

大切な蓬莱祝詞(ほうらいのりと)なんですよ。


それを文字にすると・・・・

『ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と』

と成るんです。

でも皆さんは、文字に捉われないで下さいね。



そして・・・

太古から縄文の人たちが

とても大切にしていた聖なる言葉を

海を渡って来た弥生人が耳にし

その神秘な力のすべてを理解する事無く

単なる呪詛的な語句と解釈して後世に伝え

やがて時代の流れと共に数え句に変遷したのでしょう。




まっ!兎に角、難しい講釈は無しにして


そう!出来れば床に入った時にでも

心を落ち着けて、軽く目を閉じ

両手を胸の上で軽く組んで

ひとこと、一言、ゆっくり、大切に・・・

『ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と』

『ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と』

『ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と』

と何度も大切に想いながら、心の中で呟いて見て下さい。


すると何故だか心がとっても安らぎ

何か今までと違った未知の力が

身体の隅々に広がって行くのを感じる筈です。


是非、一度試して見て下さい。

『ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と』と!


遥か太古の縄文時代の、いのちの記憶を辿りながら。
 
 
人間の本当の幸せに想いを巡らせながら。

あなたの中に眠る幸せの記憶を目覚めさせる様に。
 
 
きっとあなたの意識に、あの広大な大宇宙が広がり

      そして・・・・・・・




posted by ホーリ at 22:18 | Comment(5) | TrackBack(0) | 大神(おおみわ)一族の奥義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2007年03月15日

人生最高の思い出

みなさん、こんばんわ!

先般
ブログ更新も侭ならなかった長の出張の帰り際に
かねてから念願だった我がご先祖様の所縁(ゆかり)の地である


三輪山

に遂に登頂参拝させて頂きました。


今回の出張は長丁場になりそうでしたし
移動する距離もそこそこ長距離であり
また携わる仕事の関係からも
妻の手助けが不可欠であった為に
2人で車を飛ばして移動した訳で


最終日に

妻が

「先生?帰り道に奈良に寄りません?」
「奈良の大神(おおみわ)神社に詣でて」
「先生と一緒に三輪山を参拝しましょうよ!」


との心優しい言葉に感激し
即座に賛同してしまいました。
私!



今まで何度か大神神社には参拝したものの
当時は一般人の入山は許可されておらず
登頂参拝は許されなかったのです。

その後も女性の入山も暫く許されず
十数年前?だったか・・・

やっと一般人及び女性も入山が許されるに至りました。



しかし乍
あれほど全国各地を飛び回っていた私も
先日まで入山の機会に恵まれず
我が人生の最大の念願であった


三輪山登頂参拝

の好機が

妻の一言で叶うことになったのです。



先ずは
大神神社に参拝しました。


大神神社の詳細はこちらです。
(色々クリックしてお楽しみ下さい)

次いで狭井(さい)神社に参拝
祓え戸で祓え詞を唱え
先ずは妻の罪穢れ祓い
次いで自らを自祓いしたの後
社務所で三輪山入山の申込みを
入山料を添えてお願い致しました。

入山料は1人300円


神職から
「三輪山登拝証」
と書かれた鈴付きのタスキを受け取り
社務所の脇に立てられた杖をお借りして
イザ入山です。


三輪山についてはこちらです。
(荘厳な三輪山入山口の写真も見られますよ)

2人で
入山口に立てられている
「入山登拝の心得」
を熟読し
心を鎮めて入山の一歩を踏み出しました。


お山の一木一草のすべてに
神宿ると言われているだけあって
神聖且つ荘厳な雰囲気が辺りに漂い
足を踏み出す度に
身も心も清められる気がします。


入山ののっけから急な上り坂となり
暫くの間は勢いもありましたが・・・

10分も経つとゼイゼイと息も荒くなり
日頃の運動不足がもろに露見しました。

妻は流石に若さに溢れ
ドンドンと先を行きます。

登拝時間は
往復2時間ほどと
書かれていましたが・・・



途中5分ほど休憩し
急激な心拍数と戦いながら
何度となく立ちながらの休息を取り
息を整えては
山頂目指して重い足を踏み出します。

先を行く
流石の妻も何度となく休みを取り
途中からお互いに抜きつ抜かれつで頂上を目指します。


木々の間から
木漏れ日が差し込み
冷たい風が吹きぬけ
全身汗を流しつつ
でも何故か爽やかさに包まれます。


やがて上り坂がなだらかになり
木々が開けて周囲が明るくなって来ます。


10分ほど進むと
前方に祠(ほこら)らしきものが・・・



遂に山頂です。

私たちは顔を見合わせ
歩みを緩め
息を整え
お互いに手を繋ぎ在って

一歩一歩を大切に踏みしめて進みました。



2人同時に祠の御前に進みたい。
そんな想いで進み出ます。


静かに息を鎮め
2人祠の御前に立ち
軽く頭(こうべ)を下げます。

遂に念願の三輪山のご神体の御前に立ちました。
感激の極みです!


2人同時に
姿勢を正し


深く二拝
二拍手
そして深く一拝


自らの内に神々の御心を戴き
この世に生(あ)れ出(い)でたるを感謝し
今、生(せい)在るを感謝し
こうして相見(あいまみ)えらるるを感謝し
更に、明日、在るを感謝する。


実に当たり前のことですが
これが神道の参拝の姿です。

神に
頼まず
祈らず
願わず
在るがままを感謝する。
それが神道の祈り方なのです。



祠を通して
その奥に鎮座している
巨石群を遥拝する。


その巨石群の中で
しめ縄を巻かれている一際大きな玉石

元々は
一つの巨大な玉石だったのでしょうが
今は大きく三つに砕けています。

万感の想いを込めて
2人深々と頭(こうべ)を垂れる。



暫く周囲を散策し

下山の途に着きました。


半分ほど下ったところで
老夫婦が登ってきます。

見ると杖も持たずに
此処まで登って来た様子。


私たちは自分達の杖を使って欲しいと手渡し
手ぶらで下山して行きました。


カクカクと膝がわらうのを自嘲しながら・・・


素晴らしい

そして何時までも心に残る2時間でした。



この三輪山にまつわる

我が一族のお話しは

沈黙の黎明

をお読み頂ければと存じます。



小説 沈黙の黎明は こちらです。





posted by ホーリ at 23:27 | Comment(4) | 大神(おおみわ)一族の奥義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2006年06月09日

教養。深い言葉です。

みなさん、こんばんわ。
関東地方も遂に「梅雨入り」してしまいましたね。
これからは益々ジト〜ッとした毎日となるんでしょうねェ。

さて今日のテーマは「教養」です。

「教養」とは、読んで字の如し。
教えを養う。と書きます。
電子辞書で引くと「@教え育てること。」と書いてあります。(そりゃその通りだわ。)

が、Aとして

「単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。」

と書かれています。

これを読むと正直「雰囲気的には分るけど、何となく解かった様な、解からない様な・・・。」ってな感じですかかねぇ。

大体「単なる学殖」って何よ?

調べますと「学殖=深い学識。学問の素養。」だそうです。

 

学識?
それで、また「学識」を調べると「学識=@学問と識見。A学問から得た識見。学問上の識見。」

 

素養?
こいつを調べると「素養=平素の修養。兼ねてから憶えたこと。兼ねて養った力。たしなみ。」だそうな。

それと識見?
またまた「識見」を調べたら「識見=物事を正しく判断・評価する力。」だそうです。

調べついでに「多識」を見ると「多識=多く物事を知っていること。」(こりゃ、その通り。これは解かるな。)

すると・・・・・・・

「教養」「単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。」
とは?

単なる深い学識や素養・多くの物事を知っている事とは異なって、一定(?)の文化(人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活に関わるものを文化と呼び、技術的発展を文明と区別する。)理想(行為・性質・状態などに関して、考え得る最高の状態。未だ現実的には存在しないが、実現可能なものとして行為の目的であり、その意味で行為の機動力である。)を体得(十分に会得して自分のものとすること。)し、それによって個人が身につけた創造的(新たに造ること。新しいものを造りはじめること。)な理解力(物事の道理を悟り知ること。意味をのみこむこと。物事がわかること。)や知識(知られている内容。認識によって得られた成果。厳密な意味では原理的・統一的に組織づけられ、客観的妥当性を要求し得る判断の体系)。その内容は時代や民族の文化理念(文化は上記の通り。理念=プラトンのイデアに由来し、感覚世界の個物の原形である非感覚的な永遠の真実在。以降、長文の為、割愛しまっす。)の変遷(移り変わること。移り変わり。)に応じて異なる。」

となります。(フゥ――――ッ)

解かりましたぁ?

つまり

教養とは!

途轍もなく神聖且つ深遠で広大な意味を有する言葉なのですね。

そうなると・・・・・・・

こいつぁ〜、そう簡単に「教養を身に付ける」と言うのは容易な事ではないと言う事が理解出来ましたねぇ。。。

かと言って、あきらめるの癪(しゃく)ですから、今一度「教養」っ言葉の意味を噛み締めて「教養人」を目指しましょうよ!みなさん!




posted by ホーリ at 23:48 | Comment(0) | 大神(おおみわ)一族の奥義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2006年06月02日

出逢いの大切さ

みなさん、こんばんわ。
そして随分とご無沙汰してしまいました。

都内でアスベスト完全除去を目的とした事業協同組合設立の準備や郵政公社への政策提案などに追われて、更新が侭ならない日々が続いておりました。

そんなバタバタしていた日々でしたが、本日、とても嬉しいメールが届きました。

送信者は、来年、大学を卒業予定の若者です。

今から数年前、たまたま私たちが出張で苫小牧港からフェリーで出掛け、フェリー乗船直後から深夜に至るまで展望室でPCに向かって黙々と仕事をしておりました。

仕事も一段落した私に、それまでの私たちのやり取りを見詰めていた若者(当時高校2年生だったと記憶していますが・・・)が、私に話し掛けて来ました。

「一体、何をされているんですか?」「お仕事ですか?」「どんなお仕事ですか?」など等、矢継ぎ早でした。

当時私は米国公益財団E.C.Oの代表理事であり、NPOも設立して2・3年と言う時期でしたので、色々と研究開発やWHOとのパートナーシップに於ける活動の開始時期でもありました。

その青年と数時間に渡って色々と話をし、質問に答え、若者としての生き方をアドバイスしたのです。

その出逢いが、彼にとってはとても大きなものとなった様で、その後、度々連絡が入る様になりました。

それから数ヶ月して、私の携帯に連絡が入り「先生、これから逢いたい。実は高校を辞めました。暫らく先生宅に泊めて貰えないか。」

驚いた私は「分った。取り敢えず逢おう。その時、事情を聞かせて貰おう。」

彼には彼の考え方が在った様ですが、良心の反対を押し切って、担任が引き止めるのも聞かず、担任に退学届けを出した。今後、先生の手伝いをしたい。とのことでした。

その話しを聞き、私は「バカモン!親に学費から寮費まで負担させて置いて、何て言い草だ。親のスネをかじりっ放しで、何の恩返しもせず、自分中心に、自分勝手に生きたいとなどと考えているなら、己を知らない大馬鹿者だ。私は馬鹿を相手にする積もりは更々ない。」
「そんな馬鹿な男が一体何の役に立つ。一体、誰の為になる。一体、何が出来ると言うんだ。」
「私は馬鹿なヤツは大嫌いだ。」
「即刻、親に誤り、担任に復学させて貰える様に土下座してでも願い出ろ。」
「復学させて貰えるまで、頭を上げるな。」
「自分の不始末は、自分の力で改めろ。」
「それが出来るまで私の前に現れる事は一切許さん。」
と追い返しました。

その後、担任に土下座し、身の程知らずを平身低頭で謝ったそうです。

また、私のことを両親にも話したらしく、数日後、ご両親から礼状が届きました。

元々、勉強の出来る子でしたが、精神的に凝り性で、チョッと弱さが感じられる子でした。

その後、何度かやり取りがあり、大学進学でのアドバイスなどもしましたが・・・

無事、立命館に進み、そして来年卒業を控えての本日の久々のメールでの便りとなったのです。


ホーリ先生 様

立命館大学政策科学部4回生
ユウサクです

おかげさまで、シャー○株式会社に入社することになりました
高校の頃に大学進学を勧めて頂いたことや、貴重なお話を頂いたことに深く感謝しております

企業に入ることで、損得利害で行動するなという教えから離れてしまうのではないかという不安もありますが、
厳しい商売の世界に入って、様々な人間関係を乗り越える事が自分に必要な課題ではないかと考えて決断しました。
その上で、自然エネルギーのスペシャリストとして活躍できるよう、日々精進したいと思います。

シャー○は太陽電池で世界一の生産量で、省エネ技術と創エネ技術を今後も発展させてゆける企業です。
どんなに厳しい企業の現実があったとしても、最後まで大志をもって行動できるかどうかは自分次第だと思います。
そのために、人生の最終目標を持つことや、苦しいことからやれ、という教えを実行できているかどうかをいつも自分の戒めとしてゆきたいと思います。

大学でお世話になったLife Cycle Assessment研究会の先生や
ホーリ先生に直接的に恩返しをする事ができない進路を選択したかと心苦しく思うこともありますが
持続可能で皆が豊かで幸せになれる社会作りに貢献するという事を通じて間接的にお役に立ちたく存じます。

それでは、お体にお気をつけて。
また、お会いできる日を楽しみにしております。


一期一会の出逢いから生まれた出来事です。

一期一会と言う言葉は、「一生に、ただ一度の貴重な出逢いである。」と云われています。

でも「一期」の意味は、一生の意味ですが、「一会」の意味は「会う」と意味とは随分異なります。
「一会」の本当の意味は「一会=10,800年」と言う意味となります。

つまり「一期一会」の本当の意味は、「一生掛かっても会う事など在り得ない、寧ろ10,800年掛けてやっと逢える程の奇跡の出逢い。」を意味します。

不肖の私も、人との出逢いを可能な限りこの様に意識を持って努めるように心掛けています。

それが仕事であれ、何であれ。
当然、このブログを通しての出逢いも同様です。

一期一会。

あたなにとって、本当の一期一会と言える素晴らしい出逢いの在らんことを願っています。

どうぞ、最高に素敵な人生を突き進んで下さい。
では、また!


追伸 明日夜10時ごろ、「沈黙の黎明 第九章 神、集いに集い給いて」がMeditationさんちで公開されます。
どうぞお楽しみ下さい。。。




posted by ホーリ at 00:52 | Comment(5) | 大神(おおみわ)一族の奥義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2006年05月26日

そろそろ再開しましょうか!

何時も変わらずご愛読下さっている皆さん、こんばんわ。。。

プロローグ

今日、ある方のご依頼で都内に設けられている、ある学校のスタッフのお2人とお話致しました。
この学校は、言わば心に触れるメンタルな分野を専門にされているカレッジで、今後のカレッジの在り方についてのご相談だったのですが・・・。

経営者は私に理事長を!と申されているのですが、私がご指導できる範囲は、所謂、権威主義に彩られた唯物的医学とは異なる為に少々悩んでいます。

当然、お2人のスタッフの方もカレッジの在り方や生徒さんたちの将来の事まで心配されていて・・・。

2時間半ばかりお話したのですが・・・
殆ど私が喋ってばっかりだった様に思います。(笑)

でも、とても大切な事でしたので、どうしても想いを伝えたくってお喋りしてしまいました。


さて、そんなこんなで仕事に追われまくっている私ですが、最近、仕事を通じて感じる事が多くあります。

それは「人間の意識退化」です。

どうも、その事が気になって仕方ありません。

4月の15日から出張に出向いて以来、実に多くの方々にお目に掛かりましたが・・・・・

本音で感じたことを言いますと、「これっ!」と感じられる人物が非常に少ない。の一言に尽きますね。

何だか、薄っぺらいと言うか、やけに意固地と言うか・・・・・
特に立場や地位などをひけらかす姿勢は、何とも可哀相になってしまいます。

その逆に「ホッホ〜!」と感心さされる人物がホント少ない事に気付いたのです。

最近、富みにそう感じた方は、この2ヶ月余りでお目に掛かった人では2人ほど、それとこのブログにお越し下さっているf○○○tさん。

実は一度もお目に掛かったことは無いのですが、幸いにもご縁を頂きメールで二度ほどやり取りさせて頂きました。

その文章を拝読し、f○○○tとf○○○tさんが親しくされていると言うお方。
そのお2人のお人柄やお考えにメールで触れ、実に感服しました。

当然、f○○○tさんだけでなく、ふ○○さん、b○○_○さん、n○○○5さん、ナ○○さん、g○○ig○○iさんなど皆さん方も同様です。

実にシッカリとした、所謂、ちゃんとした哲学をお持ちになっています。

ですから私自身もこの歳で逆に学ばさせて頂いている訳です。

その逆に、何だかなぁ〜。。。。。と感じてしまう人からは、その哲学が感じられないのです。

感じるのは「ある種の考え方」に過ぎないのです。

考え方は時と共に変化変容するものです。
つまり、その人の心の在り方や外的な影響で変化変容するものなのです。

こう言う「単なる考え方」と言うものは、正しい意味では信頼に足るものでは決してありません。

しかし乍、哲学は時間と共に、経験と共に更に深化(誤字ではありませんから!(笑))、つまり益々深く、広く、高くなって行くものなのです。

つまり「ホッホ〜!」と感じた人たちは、そうしたものを自然に感じさせる心をお持ちの方たちなのです。

これは理屈ではありません。
況して目に見えるものでもありません。

何故なら形が在るようで、形が無いからです。

心もそうです。

形が在るようで、形が在りません。

思いも想いも同様です。

愛も、その逆の悲しみも実際には形が在るようで、形が無いのです。

それらは全て、その人の体の器官を通じてのみ顕現されるものばかりです。

それは言葉であったり、仕草や行動であったり・・・。

思いや想い、つまり心から発した意思や、その意思によって頭で考え出された考案が身体を通じて表現されるのです。

これは毎日、一瞬一瞬、間断なく繰り返されています。

本人が自覚する、しないに関わらず。

寧ろ、自覚しないままに顕現してしまっている場合の方が多いのが実情なのです。

ここで相手に「何かが足らない。」と感じさせてしまうのは、こうしたプロセスに哲学が在るか無いかが大きく影響してしまいます。

では「哲学」とは何なんでしょうか。

簡単に言えば、あらゆる事象に対して、ちゃんとした答えを持っているか否か。と言えると思います。

例えば、何の為に生きているのか。どの様に生きたいのか。如何生きることが自分にとって一番相応しいのか。などです。

その答えが見出せるまでには、人に言えないほどに悩み、苦しみ、戦い、そして勝ち抜き、乗り越えたからこそ見出せた答えなのです。

その見出した答えには重みが在ります。
そして愛や温もり、光さえ感じさせます。

ところが多くの人たちの殆どが、悩みを退け、苦しみを逃れ、戦いを避け、自己の弱さや脆さ、甘さに負け、乗り越えようとせず、楽な方、楽しい方、得すると思える方ばかりを選択して来たに過ぎず、その結果日々間断なく起こる事象や周囲の人々に振り回されて生きているに過ぎないのです。

その選択の愚かさに気付く事無く、何時も事あるごとに悩みや苦しみ、人間関係に翻弄されているに過ぎないのです。

自らが自分の性格を本気で正そうとせず、他者を非難するしか、自分を保つ方法が見当たりません。

お酒を飲んで愚痴る人の多くは、そうした人が多く見受けられます。

一度しか無い貴重な人生を、本当の意味で大切にする。と言う事に本気で向き合い、真に正しい答えを見出す為に、一度自分自身と真剣勝負に挑んで見てはいかがでしょうか?

本当に頼れるのは最終最後は、あなた自信に他ならないのですから。


追伸、本日からの記事は、このブログを書き始めた2005年の4月からの記事をお読みになっていることを前提に更新させて頂いています。ご了承下さい。




posted by ホーリ at 23:00 | Comment(4) | 大神(おおみわ)一族の奥義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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